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前澤友作氏の宇宙旅行を記念して僕と宇宙を振り返る2021

2021年12月8日

この記事は takanorip Advent Calendar 2021 8日目の記事です。

今日2021年12月08日、ZOZO創業者の前澤友作氏が日本人の民間人として初めてISS(国際宇宙ステーション)に到着、乗船した。
これは日本の宇宙開発の歴史に残る非常に意味のある出来事だ。宇宙旅行民主化への大きな一歩である。
なぜなら宇宙飛行士でないただの金持ちのおじさんがロケットに乗りISSに滞在しているのですから。
まあ我々一般人が宇宙旅行に行けるよういになるにはまだ相当時間かかるでしょうが…。
(実は1990年にTBSアナウンサーの秋山豊寛が民間人として初めてロシアの宇宙ステーション「ミール」に滞在しているが、彼は出発前に旧ソ連から宇宙飛行士として承認を得ているし、旅行が目的ではなかったので純粋な民間人というわけではない。)

この日を記念して、僕と宇宙の関係について振り返っておきたい。

僕が宇宙に興味を持ったのがいつかは覚えていない。
物心ついたときからガンダムやロボットが好きだったし飛行機やロケットみたいな空飛ぶ乗り物が大好きだったので、宇宙に興味を持つのは自然なことだったのかもしれない。
僕は昔から好奇心の強い人間であったが、「宇宙」というものの「未知さ」に何か感じるものがあったのかもしれない。

僕が生まれた1990年代から2000年代初頭にかけて秋山豊寛さんや毛利衛さんが宇宙飛行士として活躍されていて、かなり頻繁にテレビで宇宙飛行士のことが報道されていた気がする。
僕は特に毛利衛さんに憧れていた。
宇宙という未知の空間に行き様々な任務を遂行し帰ってくる、まさに映画の中の話が現実になったように感じた。
その頃から僕は宇宙飛行士になることが将来の夢になった。

しかし中学生になると僕の夢は打ち砕かれることになる。
宇宙飛行士になるためには強靭な肉体が必要だと知ってしまったのである。
当時の僕は虚弱体質でガリガリ、運動も苦手で体力もなかった。
今思えば努力して筋肉つければいいじゃんと思うが、その当時は現実を突きつけられて非常につらかったのだ。

宇宙飛行士になる夢は諦めたが、何かしら宇宙に関連する仕事に就きたいという思いが消えたわけではなかった。
そこで自分が宇宙に行けないなら、宇宙に行くロケットや人工衛星を開発する人になりたいと思った。
自分が作ったロケットや人工衛星が宇宙に行って我々がまだ知らない宇宙の謎を解き明かしてくれる、そんな未来を想像していた。

そうして僕はなんとか航空宇宙工学を専攻できる大学に入学した。
航空研究会というサークルにも入りラジコン飛行機を作ったりモデルロケットという小型のロケットを作ったりしていた。
しかし僕はかなり成績が悪かった。
勉強をサボっていたというのもあるが、大学の勉強についていけなくなっていた面もあったと思う。

それに加えて自分の想像とは違う大人の世界というものを知ってしまった。
宇宙開発産業の産業規模が小さいことやロケットの研究をしている研究室の少なさ、ロケット開発者になるための道の険しさ。
結局漠然とやりたいなと思っていたことのハードルが思っていた以上に高く、それを乗り越える覚悟がなかった。
次第に僕はロケット開発者になることに興味がなくなり、卒業研究ではシステム工学の研究を選択し、挙げ句大学を中退してしまった。

そして僕は今ソフトウェアエンジニアやUIデザイナーとして仕事をしている。
学生時代に描いていた将来像とは大きく違うけど、それなりに楽しく暮らしている。
今でも宇宙は好きで宇宙関連のニュースは必ずチェックしているし、たまに日経サイエンスとかnewtonとか買って読んだりしている。
大学の頃全然頭に入らなかった宇宙物理学の本も今なら楽しく読むことができる。

将来いつかどこかのタイミングで宇宙に関わる仕事がしたいなと思っている。
日本でも宇宙産業のスタートアップが少しずつ増えているみたいだし、常に機会を伺っていきたい。

とりとめのない話になってしまったけど、僕の人生と宇宙の話でした。

takanorip

digital design engineer. X: @takanoripe