「近代デザインの美学」を読んで感じた近代学校教育の即応性
2022年4月10日
最近「近代デザインの美学」という本を読んでいる。何かの本で紹介されているのを見て買った気がするが、なんの本で読んだかは忘れてしまった。一時期在庫が少なくなっていたみたいだが現在は普通に買える。
https://www.msz.co.jp/book/detail/07902/
この本は「近代デザイン史」における時代や用語の定義を再考することで近代デザインについて理解を深めることを目的とした本だ。全体的に非常によくまとまっていて、平易だが深く考察されているとても良い本だと思う。
この本の序論で「研究書と入門書の区別をなくし、立ち入った考察をできる限り多くの人々に明快に伝えようと試みる。」とあったが、まさにそのとおりという感じである。
余談だが僕は歴史が好きな人間なのでデザイン史が好きだ。(しかし暗記は得意ではないので人物名とかすぐ忘れる。)
歴史を学ぶことは新しいものを生み出すための礎だ。歴史を知らない人間に新しいものを作ることはできない。みなさんも自分の興味がある分野の歴史を学ぼう。
この本の序盤では20世紀初頭のデザイン教育の話が盛んに取り上げられている。(バウハウス、ウルム造形大学、日本での構成教育など)
これらの話を読んで感じたことは、近代学校教育の即応性のすごさだ。新しい思想や概念を広めるために学校を作り若者を教育し、そこで学んだ人が新しい学校を作り元の教えをさらに進化させて新しい世代に伝えていくという良い循環が生まれていたように思う。現代では考えられない早さで学校教育の中身がアップデートされていて、新しいものを学ぼう・教えようという意欲の強さみたいなものを感じた。
しかもそれがかなりグローバルに行われていた(バウハウスで学んだ日本人が日本に帰ってきて学校を設立するなど)というのがすごく良いなと思う。
実際にその年代に生きていたわけでも詳しい調査をしたわけでもないので本当にそれが良い循環だったのかはわからないが、事実それらの学校で学んだ人物が歴史に名を残しているわけなので良い教育が行われていたことは間違いないだろう。
20世紀初頭はナチスドイツの台頭や2度に渡る世界大戦などの影響で1つの学校が長続きしなかったり、先行きが不透明なために皆知識を貪欲に欲していたりといった時代背景や、現代よりも情報伝達手段が限られていたことなども関係しているだろう。
しかし、良くも悪くも学校教育が固定化し、実社会で求められる知識との乖離が激しくなった今こそ、この学校教育の柔軟性・即応性について再考すべきなのではないか、と思う。