自由な美術鑑賞という幻想
2025年11月16日
美術鑑賞を「感じる」ものだと勘違いしている人がいるが、それは間違っている。自由な美術鑑賞なんて幻想だ。美術作品にはそれが伝えたいメッセージや担ってきた役割(宗教儀式の道具、など)があり、それを正しく理解することが美術鑑賞なのである。
つまり美術鑑賞は知識があるからできる行為であり、あなたが「感じている」と思っているものも今まで得た知識によって生じた感覚である。(一部人類共通の感覚はあるらしいが。)素晴らしい絵は誰が見ても素晴らしいと感じる、などという言説は嘘だ。知識があるからこそ美しさを感じられる。美的感覚というのは知識や経験が集積した結果生まれるものであって、自然発生的に身につけるものではない。
そもそも美術は歴史や文化、宗教、生活様式などと密接に結びついている。それらについて知らない状態で作品を見たところで何も理解できない。正しい知識をもって作品をじっくりと観察し、作品の背景やメッセージを理解する姿勢が美術鑑賞には必要だ。
知識がないことは悪いことではない。知識がないなら美術鑑賞をするな、なんて言うつもりもない。最初はみんな何も知らないものだ。
問題なのは知識がないことを正当化することだ。知識がないからこそ何かを感じられるなどといった嘘を並べて知識がないこと学ばないことを正当化することが良くない。正しい理解をするためには正しい知識が必要だ。これは美術鑑賞に限った話ではない。
なぜ人々は美術鑑賞に知識が必要ないなどという間違った言説を受け入れてしまうのだろうか。少し考えればわかることではないか。もしかしたら、日々学習し続けることに疲れてしまった人々の最後のサンクチュアリが美術鑑賞なのかもしれない。
こういった美術鑑賞論に興味がある人には「武器になる知的教養 西洋美術鑑賞」という本がおすすめです。
https://www.daiwashobo.co.jp/book/b375090.html