生成AIでつくった気にならない
2026年1月25日
生成AIでデザイナーでもコードが簡単に書けるようになったし、イラストも写真も生成AIに作ってもらえるようになった。
それ自体はとても素晴らしいことだ。人間の可能性が広がるということは、どんな時代だって素晴らしい。
しかし、そうやって作られたものを自分のアウトプットだと思ってはいけない。デザイナーならなおさらだ。そんなものをSNSで見せびらかすなんてもってのほかだ。血が通っていない、浅い、形しかないアウトプットなんて意味がない。
デザイナーたるもの自分の手を動かし、自分の感性を信じ、自分の頭で考え、自己表現と課題解決の間で悩み続けなければならない。コンセプトも何もない、見た目だけきれいなツール、ウェブサイト、プロトタイプを生み出すことになんの価値もない。そんな意味のないものに時間を費やすのは時間の無駄、電力の無駄、資源の無駄だ。何もしないほうが世のためである。
出来の良し悪しは問題ではない。自分の血肉が通ったアウトプットなのかどうかが大事なのだ。自分の頭で「なぜこうなるのか」を考え尽くしたものならば、自分の手で一生懸命かたちを模索したものならば、たとえそれの出来がイマイチだったとしても問題ではない。そういうアウトプットが成長につながるアウトプットであり、デザイナーとして誇るべきアウトプットである。
自分の手を動かせ。頭を使え。生成AIに乗せられるな。足元を見ろ。取捨選択をしろ。意思を乗せろ。思考をやめてはだめだ。生成AIには雑用をやらせる、本丸は奪わせない。デザイナーとしての自分のかたちを保つ努力をしろ。