外部発信のモチベ、という謎
2026年5月31日
最近あったイベントで「外部発信のモチベって何?」という問いがあった。僕はあまり考えたことがないネタだったのでちょっと考えてみようと思う。
僕は外部発信(ブログ書いたり、登壇したり、イベント企画したり、など)をそこそこたくさんやっているほうだと思うが、特にモチベがあってやっているわけではない。わりと自然な行為であり、何かモチベーションがあって続けているわけではない。言いたいことがあるので、それぞれ適切だと思う方法で外に出している。楽しいからとか役に立つからとか何かを宣伝したいからとか、あんまり気にしてない。宣伝したいことがある場合はたまにあるけど。
お腹が空いたからご飯を食べるのと同じような感覚で文章を書いている。誰か何かに向かって言いたいことがあるので文章を書く。反応や議論を期待している場合もあるし、ただ単に思考のログとして残しておきたくて書いているものもある。この文章は後者に近い。なのでモチベを保つも何もない。食欲にモチベとかないのと同じだ。だから僕はこの件についてあまり良いアドバイスができない。食欲がない人にたくさん食べさせる方法を知らない。文章の書き方を教えることはできるけどね。
ただまあ外部発信の類を頑張りたい人の気持ちはわかる。この習性のお陰でいろいろ助かったことも多いし、しないよりしたほうが良いだろうとは思う。だけど言いたいことがない人にいくらハウツーを教えても長続きしないと思う。本当に言いたいことがないのか、言いたいことはあるけどうまく言えないのか、言いたいことがかなり反社会的なのか。誰しも何かしら言いたいことあると思っているんだけど、そんなことないのかな。
炎上を意識して言いたいこと言いにくいと感じている人も多いらしい。それはちょっと自意識過剰ではないか。こんだけ情報であふれた世界で、あなたの発信したことなんて誰も気に留めないよ。(余程ヤバいこと書かなければ)そんなこと気にしてる暇があるなら文章書いたほうがいい。そもそも読んだ人全員に肯定的に思われる文章なんて読む価値がない。賛否があり適切な議論が生まれる文章が良い発信である。ちょっと否定的なコメントがついたくらいでとやかく言うな。
言いたいことがないという人は、もっと自分が何をどう考えているか、自分の思考や感覚を言語にする習慣をつけたほうがいい。そういう人は他の人の意見を摂取しすぎているかもしれない。他人の意見を得たうえで、じゃあ自分はどう思うのかをちゃんと観察・考察する習慣が身につけば、言いたいことがない、発信することがないみたいな状況にはならないはずだ。インプット・アウトプット以外に思考を深める時間を作ると良い。
僕はジャーナリングをよくしている。このブログもジャーナリングの一種かもしれない。考えていることを書き出すことで連想ゲームのように思考がふくらむ。他人の意見と自分の思考を分離するのにも役立つ。「AはBだと思う」と書いたときに、本当にそれを思ってるのは自分なのか、受け売りじゃないのか、本当に納得できているのか、反芻して確認すると良い。
特にデザイナーはエッセイとかブログとか書くべきじゃないか。自分の考えをまとめるということは自分自身を観察することにつながり、観察はデザイナーの最も基本的な態度だ。原研哉、深澤直人など著名なデザイナーでエッセイを多数出版している人も多い。自分の考えをちゃんとまとめて文章にできるようになれば外部発信とやらももっと気楽にできるようになるのではないだろうか。